「Never End The Game!」 第4章


「すいません……。その、両親は顔向け出来ないと……」
「そうか。なら君でいい」
「えっ? いいんですか?」
 意外な言葉を聞き、彩は顔を上げる。次の日の彩の訪問。その時の泰紀の態度は昨日とはまったく違っていた。その目は大きく見開かれている。
 泰紀はそんな彩に僅かながら笑顔を見せる。泰紀が初めて彩に笑顔を見せた重要なシーンだったが、二人は物怖じせずにやってのけていた。
「顔向け、出来ないんだろう?」
「……」
 彩は口をぽかんと開けている。泰紀は彩の方に顔を向け、少しだけ笑顔を見せる。
「もう疲れたんだ。君に怒った顔を見せるのも」
「……何かあったんですか?」
 泰紀は自分の両親の自殺を知らないと、彩は思っている。だから、泰紀の突然の気変りに動揺しているようだ。
「言っただろう? 疲れたって。……少し、外に出ないか?」
「あっ、はい。でも……いいんですか? その体で」
「別に街に出るわけじゃない。ちょっと、病院の庭を散歩するくらいさ」
 そう言って、泰紀はゆっくりとベッドから起き上がった。彩はただただ、泰紀の様子を見ているだけだった。
「……」
「……」
「……伊藤ちゃん?」
「今、ローディングっす」
「……走る?」
「だな」
 その瞬間、二人は一気に駆け出した。私と伊藤ちゃん、そして他の子達もその後に続いた。次の舞台は病院の裏庭になる。ローディングにかかっていい時間は決められている。今は走らなければ間に合わない。
 エキストラ達の間をすり抜け、裏庭へと向かう一向。通り過ぎる時に、エキストラ達が頑張って、と声をかけてくれた。今、それに対応出来ないのが実に残念だった。
 エキストラ達の熱い眼差しを背中に受け、私達は裏庭へ向かった。


 黄色い陽の光に満ちた裏庭。庭の真ん中には噴水があり、その周りを緑色の木々が囲っている。黄緑色の芝生の間にいくものベンチがあり、車椅子に座った老人や、松葉杖をついた若者などがいる。勿論、皆エキストラだ。
 泰紀と彩は二人並んで、噴水近くを歩いている。ついさっまで全速力で走っていたくせに、今はもう息切れもしていない。伊藤ちゃんも重い物を背負って全速力したくせに、今はじっとカメラを構えている。
「悪いと思ってるよ。色々と怒鳴ったりして」
「いえ……」
 随分と様子の違う泰紀に、彩は戸惑いを隠せないようだ。
「杉矢さん……」
「んっ?」
「……私、よく分からないんですけど、本当にどうしたんですか? 何だか、昨日とは全然雰囲気が違うように見えるんですけど」
「言っただろ? 疲れたって。それだけの理由じゃ不満? それとも、まだ怒られたい?」
「いえっ……。怒られないのは嬉しいんですけど、でも何か……調子が狂うっていうか」
 彩はどんな表情をしていいか分からないような顔になる。それはそうだろう。泰紀の様子は昨日までとはあまりにも違いすぎる。彩が困惑するのも無理は無い。
「時間が過ぎて、冷静になっただけだよ。……君に怒りをぶつけたって、何も変わりはしないんだからな」
 泰紀は彩を見ず、遠くにある噴水を見つめる。噴水からは、透明な水が吹き出している。
 泰紀は彩に両親の自殺の事を切り出そうとはしない。どうやら、話す気は無いようだ。言ってしまったら、何かが変わってしまう。今の泰紀には、そんな漠然とした危惧があるのだ。
「そうですか……。でも、そうすると何でもやりますって言葉。嘘になっちゃいますね」
「いいよ、別にそんなの」
「よくないです。私、煮え切れないんです。何か言ってください。そうすれば、私もすっきりしますから」
「……」
 毅然とした態度で、彩は泰紀の目を見る。その目には、揺らぎの無い強い想いが見てとれる。大人しくも強い意志を持つ少女。それが、劇中の彩なのだ。
「何でもいいの?」
「はい」
「……」
 ここで選択肢は無い。次の台詞は、ここまでにどんな選択肢を選んできたかによって自動的に変わってくる。泰紀の事だ。忘れているという事など無いだろう。私は安心して二人を見ていた。
「何ですか?」
「……」
「……杉矢さん?」
「……」
 が、泰紀はなかなか言わない。次の台詞は「少しは笑ってほしい」だ。泰紀が彩に対して、僅かながら恋心を見せる重要な台詞だ。台本でも、あんなに長い空きは無い。私の背筋に冷たいものが走る。
 もしや……台詞忘れか!
 私の背筋が再び寒くなる。二度目のハプニング……。前回の真澄の時と違い、今回はカメラを移動させる事は出来ない。ならば……彩のアドリブに任せるしかない。
「……そんなに言いにくい事なんですか?」
 彩は心配そうに言う。これはアドリブだ。間をつなぐ為の台詞だ。うむ、非常に適切な台詞だ。しかし、泰紀は何も言わない。目を泳がせている。場面が場面なだけにさほど不自然ではないが、それでもあまり時間は稼げない。
 私の頭が高速で答えを導きだそうとしている。彩のアドリブだけでしのぎきれるか分からない。何か他の手を用意しなければ!
(真澄! カンペ用意!)
 私は小さな声で言う。真澄は突然ふられ、びっくりした顔になる。
(カンペって……紙もペンも無いですよ!)
(何とか出来ないのか? ジェスチャーとか)
(ジェスチャーって言っても、私、ここの部分の台詞知りませんし……)
 登場しない部分の台詞を覚える必要など無い。ならば、真澄であろうが、誰に言った所で意味が無い。くそっ! 一体どうすればいいんだ!
 その時、美優が私に近付いてきた。そして、手にしていた紙を掲げた。そこには、泰紀の言うべき台詞が書かれてあった。泰紀はそれを見る。
「……あっ」
「何ですか?」
「そんなに……暗い顔しないで、少しは笑ってほしいな」
「えっ?」
 彩の足が止まる。長い黒髪がフワリと浮かぶ。それは演技なのか、それとも泰紀がやっと台詞を言ってくれた事に対する驚きなのか、それは分からない。だが、態度としては最適だった。
 泰紀も立ち止まり、恥ずかしそうに顔を赤らめ、彩から顔を背ける。さっきまでの動揺の態度は随分と影を潜め、今はもう自信を取り戻しているように見えた。
「こっちもさ、あんまりいい気分じゃないからさ」
「……ありがとうございます」
 彩は俯き、そして僅かに笑う。もう、そこにはアクシデントの影も形も無かった。
 美優を見る。美優は嬉しそうに私にブイサインをする。一体どうやってあのカンペを手に入れたのか聞きたかったが、今は口にする事は出来ないし、気を抜く事も出来ない。ユーザー様がゲームを終わらせてくれない限り、アクシデントはいくらでも起こりえるのだ。 私は気を取り直し、再び二人の演技を監督する。
「……あらら? 珍しいカップルね」
 そんな二人の前に法子が現れる。手には煙草がある。新しい人物の登場で、雰囲気は完全に元に戻っていた。
「法子さん……煙草、吸うんですか?」
「たまにね。色々と疲れるのよ、看護士ってのも。……それにしても面白いカップルね」
 カップルと言われ、泰紀と彩の二人は顔を見合わせてはにかんだ笑顔を見せる。初々しい、いい態度だ。
「カップルなんて……大袈裟ですよ」
「そんな事無いわ。場所が違ったら、絶対にそう思われてたわよ」
 そう言いながらも、法子はどこか嬉しくなさそうな顔をする。泰紀と彩はそんな法子の様子などまるで分かっていないようで、互いの顔を見合わせては苦笑いをする。
「それにしても泰紀君、何だかいきなり元気になってない? 昨日とは随分違うような気がするんだけど。それに……そちらのお嬢さんと一緒にいるなんて、正直意外な気がするわ」
「仲直りしただけですよ」
「仲直り?」
 法子の顔色が変わる。泰紀は破顔する彩を横目に、頬をかく。
「いつまでも子供みたいに意地張っても意味無いですから。……失ったものは二度と戻らないけど、でも、そうしないと手に入らないものもあるかもしれませんから」
「……言ってる意味がよく分からないわ」
「ははっ、俺もです」
 その場を紛らせるように、泰紀は口を開けて笑った。しかし、法子の顔は優れないままだった。
 そんな二人のやりとりを、彩は蚊帳の外から見ているように傍観していた。それを見た法子が、含み笑いを漏らす。
「……じゃあ、私、これからまた仕事だから。泰紀君、ちゃんと時間には病室にいるのよ」
「はい」
 法子は煙草を地面に落とし、靴裏で乱暴に踏み潰すと、早足でその場から立ち去っていった。
 法子がいなくなり、再び二人きりになった泰紀と彩。すると、すぐさま彩が口を開ける。
「仲、いいんですね。担当さんか誰かですか?」
「ああっ、言いたい事をバシッと言う人なんだ。ちょっときついなって思う時もあるけど、
でも時々凄く勇気もくれる。いい人だよ」
「……へぇ」
 段々と小さくなっていく法子の後ろ姿を眺めながら、彩は上の空のように呟いた。


「本当に申し訳ない! 彩、すまん!」
 ユーザー様がセーブをしてゲームを終えた瞬間、泰紀は土下座をして謝り始めた。真澄の時と同じだった。
「心臓が止まるかと思ったわよ。……心臓なんて無いけど」
「本当にすまん」
「……んもう! そんなに謝らんないでよ、泰紀」
「……でも」
「過去の事でくよくよするな!」
「それ、私がこの前言った台詞……」
「うっさい!」
「何で私まで……」
 私にまでとばっちりがきている。……納得できない。
「主人公なんですから、もうちょっとしっかりしてください」
 美優が冷ややかな目をする。
「その通りでございます! すみません」
 美優にまであんなに低姿勢で……。まあ、それほど反省しているという事なのだろう。真澄の場合と違い、今回は完全な人為的ミスだ。私も口の入れ所に困ってしまう。
 そんな泰紀に、法子が優しく声をかける。
「そんなに気を落とさないでくださいよぉ、泰紀さん。失敗なんて誰にでもある事ですからぁ。きっと私にだってありますよぉ、これから」
「いや……それもよくないですけどね」
 励ましなのかよく分からない台詞に、少し元気づけられたようだ。立ち上がり、私には普通にお辞儀をする。
「マスター。迷惑かけました。すいません」
 反省の色は十分にある。ならば、これ以上きつく言うべきではないだろう。
「過ぎた事をとやかく言うつもりは無い。美優もそんなに叱らないように。それに、彩のアドリブも効いて何とか切り抜ける事も出来たし、美優のカンペもいいタイミングだった。この前の教訓が見事に活かされた。だから、この問題はこれでおしまい!」
 暗い話を引きずっていても仕方ない。それに、今回のハプニングは前回に比べて、よりスピーディーに見事に切り抜けられた。それだけ、皆が成長しているという事だ。それはある意味、誉められるべき事でもあるのだ。
「でもあのカンペ。私が用意したんじゃなくて、実はエキストラさんが用意してくれたんです」
「エキストラが?」
 予想外の言葉に、私は真澄の腕から落ちそうになる。
「はい。何でもエキストラさん達、いつどこでハプニングが起きてもいいように、カンペを用意してるらしいんです。今回、それが役に立ったわけです」
「へえ、知らなかったわ」
 真澄が感嘆の声をあげる。それは私もだった。
「私も知らなかった。こりゃ、そのエキストラに感謝しなくっちゃな。何て言う人なんだ、そのエキストラは?」
「マスター。エキストラなんですよ、名前なんて無いですよ。それに、カンペを渡したら、すぐにどっか行っちゃいましたから、誰かもよく分からないです」
「そうか……」
 エキストラ程、ある意味悲しい人達はいないだろう。決められた台詞も無ければ、注目が浴びる事も無い。だが、彼らがいなければ、ゲームは成立しない。今回のハプニングだって、彼らのお陰で切り抜ける事が出来たのだ。目立たない、重要な人達なのだ。
 そんな彼らの為にも、絶対にゲームはエンディングを迎えさせなくてはいけない。
 泰紀の事も一段落した所で、私は全員に言う。
「話も半分ほど進んできた。ここからは加速度的に物語が展開していく。特に法子、真澄、そして彩の山場はデカいと言える。これからは一層の演技力が求められる。みんな、頑張れよ」
「はい!」
 皆、一斉に声を上げる。泰紀の声はどこか暗いが、皆もう気にしていないようだ。
「泰紀の件もあったが、みんな、もしも台詞を忘れるような事があっても決して慌てず、
アドリブとかで切り抜けるんだ。さっきの出来事は、それのいい見本だったと言える。彩、いいアドリブだったぞ」
「まあ、話の辻褄が合えばいいわけだし、そんなに難しくもなかったわ」
 彩は泰紀の肩を抱き、自慢げに語る。法子はほほぉ、と感嘆の声を漏らすが、美優の表情は相変わらず硬い。
「でだ。次のシーンは法子の正念場だ。法子、準備は出来てるだろうな?」
「準備って、何のですかぁ?」
「心の、だ。正直、かなり過激なシーンだ。お肌もチラリとは見せなくてはいけない。そこらへん、思いっきり大胆にやれ」
「はっ……そうだ。この後だ……」
 忘れていたようで、法子はハニワのような顔になる。そして、再びいつかのようにわなわなと体を震わせる。
「何で……何で私ってこんな役なのぉぉ!」
「うっさいわね! 法子さん! 諦めてやりなさい!」
 敬語なのかタメ語なのか分からない彩の言葉を聞いても、法子の騒動は収まらない。私は法子の前をピョンピョン飛び跳ねる。
「法子! 法子! 私を抱け!」
 法子は両手を出す。私のその手にすっぽり収まるようにして法子の眼前に顔を突き出した。法子は目尻にたっぷりと涙を溜めていた。
「法子。よく聞くんだ。お前は何で今ここにいるんだ?」
「何でって……ゲームを成功させる為ですぅ」
「そうだ。ユーザー様が待ってるんだぞ。ユーザー様を満足させたくないのか?」
「させたいですぅ」
「だろ? だったらそんなわがまま言うな。お前なら出来る。何と言っても、私が監督してるんだぞ? 出来ないわけないじゃないか」
「……でも、人様の前でお肌なんて出した事無いしぃ」
「ついこの間まで一度も本番をやった事無かったじゃないか、法子は。でも、出来た。今までやった事が無くたって、ちょこっとの度胸があれば出来るんだ」
「……」
「法子。胸を張れ、そして目をしっかり開けろ。今目の前に敷かれている道を、思い切り踏みしめろ!」
 私は一字一句を噛み締めるように言った。法子は黙ってそれを聞いていたが、やがて目の中に力強い光が宿るようになった。
「マスター……何だかやる気が出てきましたぁ!」
「よしよし! いいぞ。お前は私の子供みたいなもんだ。出来ないわけがないんだ!」
「はい!」
 法子は私を放し、グッとガッツポーズをした。
「さっすがマスター。言う事が違うわね」
 茶化すように彩が言う。しかし、今は私も茶化し返したかった。
「当たり前だろう?」
 こういう時こそ、監督としての実力見せなければならない。私はゲームには出ない。その分、彼らの精神面をケアしている役割があるのだ。
「法子さん。ファイトです」
 美優が法子に飴を手渡す。だから、味など分からないのにどうして食べ物を渡そうとするのだろうか。法子は嬉しそうに飴を受け取る。
「ありがとう、美優ちゃん。うぐぐぐ、おいひい」
 本当か? 信じられない。しかし、あれで少しは緊張が解れたようだからそれでよしとしよう。
 と、その時、サイレンが鳴った。
「お知らせします。ユーザー様がディスクをゲーム機の中に入れました。出演者は定位置についてください。繰り返します……」
「ええっ! もうなんですか! むぐぐぐ」
 法子は思わず飴を飲み込んでしまうが、私の驚きはそれ以上だった。もうやるのか? さっきからまだ一時間足らずしか経っていない。外の世界の時間で言うなら、真夜中だ。一体何の風の吹き回しだろう。
「ユーザー様はセーブ一から始める模様。繰り返します……」
「すーはー、すーはー。よしっ、行こう、法子さん!」
 大きく深呼吸をした泰紀は法子の手をとって走りだした。法子は引きずられるようにして泰紀の後についていく。私と伊藤ちゃんもその後に続いた。
「セットォ! 舞台は夜だ、空を暗くしろぉ!」
 私がそう叫ぶと、ゆっくりと空が暗くなっていく。そして、一分もしない内に、空は完全な暗闇に覆われた。


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